優しさ・誠実さ
この文章を読んでくれている人には伝えたい。
毎日文章を書くことで、悩みは消化されている。
文章を読んでいる限り煩雑な悩みが多い人だと思うし、実際多いのだが、文章を書くことで日常生活においては明朗さが増したと思う。それが外側に現れているかはわからない。
乖離の感覚があまりない。自分が収束してきた感じがある。
だから、理解できない他者に対して、人間味のある愛を持てない。
人間が好きというのは、人間という概念が好きだったんだなと思う。
優しさって何
「幸せになってほしい」想いがあれば、少なくとも優しくできるし、贔屓にできる。
また、そのような想いに基づいている場合、少人数へ多くコミットする方が、根本の自分の気持ちに寄り添っていて、良いと思う。
理解できない他者への怒りは自分へ誠実さだと思う。
理解できないことを相手に伝えるのは誠実。怒りは誠実さ。
人当たりをよくして朗らかであることと、誠実であることは本当は矛盾しないはずなのにね。
人にも優しくして、自分にも正直であることが理想ではある。
でもそれは、素で善人じゃないと難しいかもしれない。
私は、嫌いな人も、自分と関わりのないところで幸せになってほしいとは思っている。
自分の領域外の人や思想を迎合する必要はない。
そもそも、仲が良い人に優しくしなくとも良い。
私がそうしたいからそうしているだけ。
偽善者云々の話は発展性がなくて嫌い。
でも仲良い人が幸せなら私自身も幸せに感じる。
だから仲良い人には優しくしたい。
実際は
実際は柔和さと誠実さを同じ出力で保つことはできない。
柔和で、大事なところで誠実な人。
誠実で、大切な人に対して柔和な人。
このどちらかだよな。
こういう話したくない
冒頭で言ったように、この文章に悩みをアウトプットしている。
だから、私自身から文章に悩みが移っていて、
このブログを読んでいる人は、私をまとまりのない考えすぎな人だと思うし、
読んでいない人は、私をちょっと考えすぎなよく動く人と思うだろう。
この文章読んでいる人にももっと良い気分を味わってほしいので、本当はこういう話をブログでもしたくない。
人に読んでもらう文章と、自分のための文章が一致したらいいのにな。
あなたはヒーロー、最近のコメントばかりだなー。
自己犠牲ではないけど、「私がもし怪獣になっても」相手を思いやっていていいな。
毎日シンセ触ろ。
今日の文章は満足感がない。
昨日は満足。