朝露か夜露か。ひとりでさんぽ。
今朝
6時20分、アラームが鳴っていないにもかかわらず目が覚めた。
昨日寝たのは2時半より遅かったが、スッキリ起きることができた。
歯を磨いて、コンタクトレンズをつけ、ヤクルトを飲む。
6時35分に合宿をしている家を出た。
朝露・夜露
散歩をしていると、道の脇の雑草が露に濡れていた。
「この露は朝露なのだろうか、それとも夜露なのだろうか」そんなことをふと思った。
朝露であるか夜露であるかは「観測した時間」で決まるのか、「露がついた時間」で決まるのか、どちらなのだろうか。
どちらの定義を選択するかは人によるだろうと思う。
まだ9月、6時半ごろでももう涼しさはなかった。
なんとなく露がついたのは夜なのだろうと思った。
私は「露がついた時間」で夜露か朝露かを決めたいなと思う。
だからこれは「夜露」だということにした。
でも、人と一緒にいる時には「朝露」と言った方がわかりやすいなとも思う。
ひとりの散歩には、自分の見たものを自分の言葉で表現できる良さがある。
私が見た植物の涙は、朝の光を浴び、一日の始まりを祝福していた。
過言。
シンクロニシティ
最近予感が当たる。
明日雨降るなとか、このクイズ大会自分のテーブルが優勝するな、とか。
それは偶然でしかない。
ただそれらはセレンディピティ(幸運な偶然を手にいれる力)も関わっていると思う。
単純に雨を予感した時は、傘を持っていくか悩んだために明日雨降りそうか熟考していた。
クイズに関しては、私はクイズとじゃんけんがどちらかというと強めなのだ。
今日は散歩していた時、近くに住んでいる大学の友人に会った。
そんな予感はしていた。
彼は彼の友人の家でオールで飲んだ帰りだったらしい。
さすがにそれは微塵も想定していなかった。
6時半に彼が起きているとは思えないので、頭で考えるなら今日の朝の散歩で彼に会う確率は非常に低かった。
現実的な話、この合宿中に彼と会う確率は非常に高い。
今回の合宿で利用するスーパーとその経路は、彼も使う道だ。
合宿の場所がわかった時から、会うとは予想していた。
だから、ひとりで散歩するとにふと出会うかもしれないことついて考え、実際に遭遇し、予感が当たったように感じてしまったのだろう。
運だとか、調子だとか
シンクロニシティだとか偶然だとか考えなくても、想像通りに事が運ぶ体験はおもしろい。
それがここ1週間以内に続いていると、基本的に頭で考えている私も、「最近流れきてるんか?」とか思ってしまう。
運や流れがあるかないかは置いておいても、「流れが良い」と思い込むことは良い気がする。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がすべてだ。
天命が来がちな時期でも、人事は尽くさないといけない。
運に任せずにできることはやる。
気軽に使っておいてなんだが、「天命」という言葉は重くてあまり好きではないかもしれない。
ひとりの散歩自体良き
みんなより早起きするのって良い。
自分は、人といることは大丈夫な人なんだなと思った。
それでも早起きしてひとりで散歩すると落ち着く。
会話は楽しくて好き。
でも、ひとりで居るという、会話が発生し得ない状況は何も気負わなくて楽。
これまでの文章で孤独について語ってきた。
でも自分の独自性は大切にもしたい。
だから、「人に話さないような変なことを考える時間」が少しあるぐらいがちょうど良い。
ひとりでいる時は考えすぎてしまうので、「合宿+ひとりで散歩」ってめっちゃよいのかもしれない。
人についての詞がなくて好き。
自分から見える世界の色について語っている。
曲の歌詞って好きな人だとか、自分についてだとか、自分・他人かかわらず人について書きがち。
こういう曲を聴くと、自分でも他人でもなく、目の前の、頭の中の世界に耽溺できるから好き。
2023/09/13