写実的あるいはナンセンスなものを伝えるための文章
10月は夏ではありません。
私が昨日決めたことです。
今日は日差しが強く、世界をオレンジ色につつんでいました。
その色温度は明らかに秋のものでしたが、太陽は夏のように私を照らしました。
おちおち日傘をさしていられないほど風も強くて参りました。
昨日は作文がスランプということを書きました。
しかし、文学なんてナンセンスでも良いのです。
写実的、あるいは虚無的に心象もしくは現実を書けば良いだけなのかもしれません。
丁寧に言葉を選びさえすれば、他の人にも私の見えてる世界を垣間見ることができるのではないでしょうか。
私が写真に求めていることと同じです。
完全に理解し合うということは不可能な世界で、互いが美しいと思ったものを共有する。
そのささやかな理解への試みのみが孤独を埋める。
それはアートというにはあまりにコミュニケーションで、コミュニケーションと呼ぶにはあまりにアートです。
名前なんてなんでも良いでしょう。
このブログでもこれまでもしてきたことでしたね。
このブログでの文章を分類するに、
「自己の特異性の理解」
「内省」
「わからないものに対する思考」
「写実的、ナンセンスな文章、思考」
「物語」
であると思います。
おそらく、この文章の冒頭のように、写実的な日記のような、あるいは詩のようなものは、他者にみせるためのブログとして良いとされるものでしょう。
そして、「自己の特異性の理解」「内省」はほどほどにするべきなのでしょうか。この文章も今は「内省」にあたるので、改善は不可能でしょうね。
「わからないものに対する思考」はそういう系統のブログがあるように、また他人との会話に対して有用であり、ラジオなどもこのような命題を取り扱うことが多いでしょう。これは増やしていきたいし、音声メディアで発信してもよいかもしれません。
最後に「物語」についてです。これはブログを分けるべきな気がします。またnoteのように、よみやすさを重視するべきかも。
年内は、いや自分の「夏果」が終わるまでは、文章を書く為のリハビリとしてこのブログで書こうと思います。
そして、夏はが終われば、「日記」と「物語」と「わからないものに対する思考」は区別して、他人に共有しようと思います。
今回も「内省」「わからないものに対する思考」が多くなってしまいました。
今回の文章なんて最初の5行を読んでくれたら十分なのです。
秋が来るとさびしくなります。
だから文章もあなたのレスポンスを求めるような文章に変化してゆきそうな気がします。
毎回、他人に「今日もブログ書いたからみて!」と無邪気に言えるようになりたい。
そのためにも文章のリハビリをする。
人は誰だって構って欲しい、そうでしょう?
秋風に身を丸くしながら共感してください。
2023/10/02