夏果

日常の思いと創作など

雨と窓ガラス。感情の落書き

雨と窓

 

雨の日、窓ガラスに雨粒がくっついて、下に垂れてゆく。

その軌跡がぶつかったり、加速したり、とても面白い。

暗い部屋の外は、曇りとはいえ、青白い明るさに満ちている。

子供は外を見ることなく、目の前の雨粒をずっと見つめるのだ。

もう戻れない。

雨粒が一番下まで流れるのを見届けられるか?

しゃがんだとて、もう一番下は見えない。

必死に追ったとして、別の雨粒に目が奪われてしまう。

閉塞感によって、窓ガラスの一点を見つめてしまうだろう。

子供にとって雨の世界も輝いているのだ。

暗い部屋、雨、窓ガラス。

それでも哀愁を押し付けてはならない。

 

以下雑記

 

悩むことは不幸なことじゃないと昨日の文章で書いた。

それは普遍的だからそうだ。悩んで解決してより幸せになる。

 

今回は感情の余情についてとても感覚的な話をしようと思う。

 

悲しみと孤独はとても違う

 

孤独なときは寂しい。

寂しさも悲しさも共有できれば孤独じゃないし、

孤独を知ったもの同士の寄り添いは、孤独じゃなさすぎる。

 

私はもの悲しいとき、別に孤独ではないのだが、あなたはどうだろうか。

もちろん悲しすぎたら人の話を聞いてもらいたくなるのだが。

 

怒りも共感してもらえなければ孤独だ。

怒りは自分以外に、怒りを向ける対象があるから孤独じゃないという人もいるだろうが、どうだろうか。

たぶん正しくはあるが、怒りを理解してもらえなければ、世界が自分とそれ以外に分裂してしまう。

 

哲学的孤独ローランド「俺か、俺以外か、、、」

 

感情と友達

 

悲しみも怒りも友達だ。

嘲りや嫉妬は敵だ。

羨望や悔しさは自分自身のような感じがする。

喜び、楽しみ、などの光の感情はシンプルに自分が抱く感情といったところか。

それか、おいしいジュースのような感じだ。

 

ダウナーとアッパー

 

別に躁鬱じゃないと思うけど、テンションは乱高下する。

どっちが良いとかないけど、ダウナーは、チルなら良いが、バッドに入ることもしばしば。テンション上がりすぎてしんどい時もある。

 

最近は安定している。

最近気づいたのは、ずっとチルしてるのが理想なんだ。

 

今回の文章は冒頭の雨についての随筆で終わっている。

今日はおやすみということで。