悩んでない人が嫌い。
逆メンヘラが嫌い
悩んでない人が嫌いだ。
人生に正解なんてないのに、自分の生き方を完全に確立している人が嫌いだ。
傲慢さが滲み出る。
生き方を確立しても、「数ある選択肢の中から私にはこういう生き方がよいのかなーとおもったんだよね」ぐらい謙虚であれ。
「だってこういう生き方の方がいいじゃん」ってのが嫌いすぎる。
生き方を決めること、正解だと思い込むことは「余情」を殺す行為だ。
全ての人間は全ての事実について「かもしれない」とずっと思っとけ。
めっちゃ偏見だけど、
水商売やってて人生波乱万丈で苦渋を啜ってきた自負があってなまじ尊敬されてる人、こういう傲慢さに陥りがち。
古くからコミュニティにいる先輩とかOBとかも、傲慢さ持っている人多め。
サバサバしすぎているのも嫌い。
そんなに自己確立してて、しかも人恋しくないんだったら、相談に乗る必要ないんだったら、私と遊ぶ必要あります?
って反抗しちゃう。
まあどんなに自分があっても、傲慢に上から語ってこなければ全然よい。
上記のような人を私は逆メンヘラと呼んでいる。
しかし、逆メンヘラはメンヘラの反動でなることもある。
また、メンヘラのモードチェンジである可能性もある。
というのは彼氏の前だけではちょいメンヘラで、後輩とかには傲慢な逆メンヘラみたいなパターンもある。
断定口調で話すなよ。世界には魔法もあるかもしれないだろ。
傲慢な説法
今気づいたのは、自分が「釈迦に説法」されている状態(釈迦とまではいかなくても、それなりに知っている)で、
相手が謙虚に話してたら微笑んであげられるが、鼻をたかくしていたり、私が釈迦であると微塵も思ってないような態度ではなされるとムカつくよねー
許すまじ。
「釈迦に謙虚な説法」「釈迦に傲慢な説法」という言葉をここに作っておく。
便利だと思う。
悩んでいる人が好き
まず、メンヘラについて語ろう。
メンヘラと言ってもいろいろあるから一括りにするのはよくない。
でも、悩んでる人や自分に自信のない人、は好き。
誤解してほしくないのは不幸な人が好きなわけではない。
そもそも、悩むことは不幸なことではない。
そして同じことで進歩も変化もなく悩み続ける人は好きじゃない。
話聞いて、共感して、ちょっとアドバイスして、それがまったく活かされてないのが続くのは人として誠実じゃないだろ。
まあメンヘラというレッテルにあまえがちなので、メンヘラを自称している人はだいたい好きじゃないんだけど。
まあだいたいの人は悩んでる。
だから好きのベクトルではなすと、真摯に生きてる人は大体悩んでるから、俺の友達はみんな「悩んでる人」にあてはまる。
嫌いなことについて語りたかった
今回は悩んでいる人が好きということよりも、悩んでなくて傲慢に語ってくるやつが嫌いという話をしたかった。
前のルサンチマンが嫌いという話のつづきだ。
弱者に甘んじる奴らが嫌い。そして、弱者じゃない確立された自分に甘んじている奴らも嫌い。
だって、人はみな弱者なのだから。
といいつつも、この嫌悪は若さゆえな気もする。
法律的には大人だが、大人への抵抗感があるから。
傲慢な少年か謙虚な大人でいたい。みんなそうあれよ。
悩んで、泣いて、転んで、泥啜って。雨の中、路端に咲くカタバミを見つけるような。
そんな生き方しろ!!!!(応援)
2023/09/07