夏果

日常の思いと創作など

初秋にエンゼルケアを。

ブログを始めたのは夏後半でしたが、それでも夏真っ盛りでした。

もう9月23日。

秋風を感じました。

涼しいのが好きなので呑気に気持ちいいなーと思いながら帰りました。

 

ブログを毎日書くのは難しいことでした。

そして、私は言葉を流暢に使えるほど器用に生きれる人ではありませんでした。

だからこそこれからも文章を書いて、練習していきたいと思っています。

ポジティブです。

 

文章は1000字程度書こうとしていました。

でずが、量より質です。

500字程度の良い文章を書こうと思います。

 

最近は人に気を遣うことが多々ありました。

そしてなんとも悲しいのは、とても人に気を遣っているのに、気遣いの足りなかった発言を後から悔やんでしまいます。

「気を遣う」それでいて「気を遣えない」この2つの事実は、私に穏やかになることを推奨するようでした。

 

ゆっくりした会話、穏やかな時間、気兼ねなく話せる友達。

 

傲慢にならない。決めつけない。

よく寝る。感謝する。

 

関わってくれる人みんな、ありがとう。

これを読んでくれている人みんな、ありがとう。

 

もう夏も終わりです。

夏果ですね。

夏が終わることも、秋が訪れることも、すぐ秋が去ってしまうことも悲しいです。

こんなにゆったりした気持ちで文章を書いていても、かなり忙しいです。

 

忙しい日々にすり減る友達を救いたいんですよね。

 

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涼しくなってきて、穏やかで悲しい時は、エンゼルケアを。

 

傷ついた思い出にとびきりのエンゼルケアを。

崩れていく前にそっとキスを。

 

2023年9月23日

re夏果

雲居

 

暑すぎない陽の光に触れると、少し優しくなれます。

朝日に複雑な心中がてらされ、複雑な影ができてしまうのではないかと思いました。

影の形が見えずとも、心中は他人にも透けてみえるようですね。

 

昨日から今朝にかけて嫌なことが連鎖しました。

とても落ちこんでしまいました。

気を遣わせました。

 

コーンスープを飲むとやさしくなれました。

心のあたたかさはこれからはコーンスープで補給することにします。

 

みんな優しいと思います。

そして、私に降りかかったひとつひとつの嫌なことは耐えられるものだと思います。

 

事象と内省

 

昨日嫌なこと言われました。しかし、本人は酔っていたので覚えていないようです。

それによって気づけたことがたくさんありました。

 

愛は与えるものでもないのですね。

好意も向けるものではないのですね。

そして、愛も好意も与えるものではんく、自分の中に抱くものなのかもしれません。

 

私は、好意を向けられるために好意を向けているのではありません。

人として誰でもある好意を抱かれたいという思いを持ちつつも、好意を抱かれると思っていませんでした。

 

私が相手からの好意を期待しないのは傷つきたくないからでしょう。

好意を抱かれたいという気持ちは普通だと思います。

その結果、愛すること、こちらが好意を抱くことに焦点を当ててきました。

それはあまり間違っているとは思えません。

 

ですが、他者の好意を欲する私たちは(あなたもそうでしょう?)、見返りなく好意を向けていても、それが相手に伝わることはないのですね。

 

「好意を向けられても返されるとは限らない」といった趣旨のことを言われました。

そう言われるに至った私も悪いのでしょうね。

ただ、記憶が曖昧でわるいのですが、「返される」と「返せる」では意味が大きく違ってきます。主語が変わってしまいます。

本人も完全に記憶がないようなのでこれ以上考えても仕方がありません。

 

忙しい世界にあてられていたのか

 

考えるうちに、好意を「向ける」という感覚が変な気がしてきました。

「向ける」ことすら傲慢なのかもしれません。

好意は行動の免罪符にもなります。

私は他人が嫌がることは絶対にしたくないので注意をしています。なので、これまでの行動が間違っているとは思いません。

ただ、もっと丁寧に真摯に行動するべきかもしれません。

相手との関係値を測ることはとてもむずかしいことだからです。

 

ただただ、無理せず仲良い人に優しくしていれば、それでよかったんですね。

 

ひとつの世界のエンドロール。夏果を受け入れる。

 

もうこの文章限りで「愛」という言葉を軽々しく使うのをやめようと思います。

というよりは、考えすぎることは良くないと思いました。

概念考察系ブログなのかもしれませんし、私はこれからも考え続けるでしょう。

ただ、これまで他者について考え過ぎていました。

他者というのは、「他者」という言葉で括れるものではありません。

具体的にあなたにとって私がいて、私にとってあなたや彼女ら彼らがいる。

自分が他者かではなく、自分と二人称のあなたで他人について考えるために、おおきなことをかんがえるのをやめようと思います。

 

自分は自分の世界に耽溺できなかった結果他者の愛をもとめているのか?

 

章題の通りです。

夏果という孤独は悪いものではない気がしてきました。

それは美しいからです。

でも寂しいから嫌なのです。

 

私は最近の文章のようにアイデンティティクライシスが落ち着いてきました。

自己の確立の次は、私の世界の確立を目指すのが良いと思います。

それは作品での表現で行います。

 

クリエイターだからこういう負の感情は喜んで向き合います。

寂しがって、愛されたくて。

わかりあえたりわかりあえなかったりして、生きていく。普通に。

仲良い人に優しくする。丁寧に。

 

そして、自分の世界を、自分の時間を大切にする。

 

夏果を日傘をさして朗らかに歩いていきます。

哀しく、温かい光の中で。

 

2023/09/14

朝露か夜露か。ひとりでさんぽ。

今朝

 

6時20分、アラームが鳴っていないにもかかわらず目が覚めた。

昨日寝たのは2時半より遅かったが、スッキリ起きることができた。

 

歯を磨いて、コンタクトレンズをつけ、ヤクルトを飲む。

6時35分に合宿をしている家を出た。

 

朝露・夜露

 

散歩をしていると、道の脇の雑草が露に濡れていた。

「この露は朝露なのだろうか、それとも夜露なのだろうか」そんなことをふと思った。

朝露であるか夜露であるかは「観測した時間」で決まるのか、「露がついた時間」で決まるのか、どちらなのだろうか。

どちらの定義を選択するかは人によるだろうと思う。

 

まだ9月、6時半ごろでももう涼しさはなかった。

なんとなく露がついたのは夜なのだろうと思った。

 

私は「露がついた時間」で夜露か朝露かを決めたいなと思う。

だからこれは「夜露」だということにした。

でも、人と一緒にいる時には「朝露」と言った方がわかりやすいなとも思う。

 

ひとりの散歩には、自分の見たものを自分の言葉で表現できる良さがある。

 

私が見た植物の涙は、朝の光を浴び、一日の始まりを祝福していた。

過言。

 

シンクロニシティ

 

最近予感が当たる。

明日雨降るなとか、このクイズ大会自分のテーブルが優勝するな、とか。

それは偶然でしかない。

ただそれらはセレンディピティ(幸運な偶然を手にいれる力)も関わっていると思う。

単純に雨を予感した時は、傘を持っていくか悩んだために明日雨降りそうか熟考していた。

クイズに関しては、私はクイズとじゃんけんがどちらかというと強めなのだ。

 

今日は散歩していた時、近くに住んでいる大学の友人に会った。

そんな予感はしていた。

 

彼は彼の友人の家でオールで飲んだ帰りだったらしい。

さすがにそれは微塵も想定していなかった。

6時半に彼が起きているとは思えないので、頭で考えるなら今日の朝の散歩で彼に会う確率は非常に低かった。

 

現実的な話、この合宿中に彼と会う確率は非常に高い。

今回の合宿で利用するスーパーとその経路は、彼も使う道だ。

合宿の場所がわかった時から、会うとは予想していた。

 

だから、ひとりで散歩するとにふと出会うかもしれないことついて考え、実際に遭遇し、予感が当たったように感じてしまったのだろう。

 

運だとか、調子だとか

 

シンクロニシティだとか偶然だとか考えなくても、想像通りに事が運ぶ体験はおもしろい。

それがここ1週間以内に続いていると、基本的に頭で考えている私も、「最近流れきてるんか?」とか思ってしまう。

運や流れがあるかないかは置いておいても、「流れが良い」と思い込むことは良い気がする。

 

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がすべてだ。

天命が来がちな時期でも、人事は尽くさないといけない。

運に任せずにできることはやる。

 

気軽に使っておいてなんだが、「天命」という言葉は重くてあまり好きではないかもしれない。

 

ひとりの散歩自体良き

 

みんなより早起きするのって良い。

自分は、人といることは大丈夫な人なんだなと思った。

それでも早起きしてひとりで散歩すると落ち着く。

 

会話は楽しくて好き。

でも、ひとりで居るという、会話が発生し得ない状況は何も気負わなくて楽。

 

これまでの文章で孤独について語ってきた。

でも自分の独自性は大切にもしたい。

だから、「人に話さないような変なことを考える時間」が少しあるぐらいがちょうど良い。

ひとりでいる時は考えすぎてしまうので、「合宿+ひとりで散歩」ってめっちゃよいのかもしれない。

 

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人についての詞がなくて好き。

自分から見える世界の色について語っている。

曲の歌詞って好きな人だとか、自分についてだとか、自分・他人かかわらず人について書きがち。

 

こういう曲を聴くと、自分でも他人でもなく、目の前の、頭の中の世界に耽溺できるから好き。

 

2023/09/13

優しさ・誠実さ

この文章を読んでくれている人には伝えたい。

毎日文章を書くことで、悩みは消化されている。

文章を読んでいる限り煩雑な悩みが多い人だと思うし、実際多いのだが、文章を書くことで日常生活においては明朗さが増したと思う。それが外側に現れているかはわからない。

 

乖離の感覚があまりない。自分が収束してきた感じがある。

だから、理解できない他者に対して、人間味のある愛を持てない。

人間が好きというのは、人間という概念が好きだったんだなと思う。

 

優しさって何

 

「幸せになってほしい」想いがあれば、少なくとも優しくできるし、贔屓にできる。

また、そのような想いに基づいている場合、少人数へ多くコミットする方が、根本の自分の気持ちに寄り添っていて、良いと思う。

 

理解できない他者への怒りは自分へ誠実さだと思う。

理解できないことを相手に伝えるのは誠実。怒りは誠実さ。

 

人当たりをよくして朗らかであることと、誠実であることは本当は矛盾しないはずなのにね。

人にも優しくして、自分にも正直であることが理想ではある。

でもそれは、素で善人じゃないと難しいかもしれない。

私は、嫌いな人も、自分と関わりのないところで幸せになってほしいとは思っている。

 

自分の領域外の人や思想を迎合する必要はない。

そもそも、仲が良い人に優しくしなくとも良い。

私がそうしたいからそうしているだけ。

 

偽善者云々の話は発展性がなくて嫌い。

でも仲良い人が幸せなら私自身も幸せに感じる。

だから仲良い人には優しくしたい。

 

実際は

 

実際は柔和さと誠実さを同じ出力で保つことはできない。

柔和で、大事なところで誠実な人。

誠実で、大切な人に対して柔和な人。

このどちらかだよな。

 

こういう話したくない

 

冒頭で言ったように、この文章に悩みをアウトプットしている。

だから、私自身から文章に悩みが移っていて、

このブログを読んでいる人は、私をまとまりのない考えすぎな人だと思うし、

読んでいない人は、私をちょっと考えすぎなよく動く人と思うだろう。

 

この文章読んでいる人にももっと良い気分を味わってほしいので、本当はこういう話をブログでもしたくない。

人に読んでもらう文章と、自分のための文章が一致したらいいのにな。

 

 

あなたはヒーロー、最近のコメントばかりだなー。

自己犠牲ではないけど、「私がもし怪獣になっても」相手を思いやっていていいな。

 

毎日シンセ触ろ。

今日の文章は満足感がない。

昨日は満足。

 

寂しくない・合宿の話

寂しくない

 

寂しくない。

私は寂しがり屋なので、それは珍しいことだ。

それでも毎日楽しくて悲しくはあるのだけれども。

 

今日は雨だね。久しぶりに自転車に乗ったら、楽しかった。

 

寂しくないってよりも、なんか一人でいい。

別に仲良い人となら全然一緒にいれるし、遊びたいけど。

 

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「ひとりをひとりじめ 意外と心地いいじゃん」

それが一番ふさわしい表現。

 

合宿

 

今日から合宿というか修行なんだよね。

モチベはある。

 

それを企画した時は「一人じゃ頑張れない」から企画した。

ただ、今は「一人で頑張ってやる」っていうテンションで生きてるし、それなりに頑張れてるんだよね。

だらか逆に、「人がいても頑張ってやる」と言う感じ。

 

まあ楽しむことメイン。

 

もう一つの目的として、「共同生活に耐えうるか知りたい」というのもあるので、楽しみである。

「同居無理かもー」とか、同居したことないのにわかるのかって思うからね。

それが多少無理してでも5日間いようと思う理由。

 

あとは人に良い意味で気を使わない練習。寝る練習。他人の観察。

 

関係ないけど、ネットで「合宿民」と呼ばれていた高校時代

 

合宿という言葉が好きだ。

修行も好き。

 

高校の頃、マジシャンをやっていた。

ネットで知り合ったマジシャンの仲間はたくさんいて、その中でもK氏と仲良くなった。

大学生で、マジックがうまく、練習をちゃんとしてて、話が面白かった。

そこに私とYさんとSさん、あとTさんの4、5人が集まって、いつもだれかの配信にいた。

内輪ノリが多く、特徴的なワードをネタにしていた。

Kさんがマジックの練習を毎日していた時、「合宿」という配信タイトルにしていたのもあり、私たちは「合宿民」と呼ばれるようになった。

とても楽しかった。

毎日マジックのことばかり考えていたし、露悪的な共感の楽しさも知った。

みんな優しくて面白く、似ている部分があったと思う。

Kさんを見て、「大学生」ってああなんだな。楽しそうだなと思った。

 

もう大学も終わりだけれども、みんなで何かに熱中できるような、仲良くて狂った集団を率いたいなと思う。

 

なんの話だ。

 

文体・頑張ること・『Lovers』

 

「〇〇だよなー」っていう文体、日影じゃないよなーと思い、昨日の投稿から「喜雨」というタグにした。迷走からちょっとはぬけだせてるんだよね。

 

俺が学ぶべきなのWebサービスよりも先にUnityじゃんってことに気づいた。

ギターのコード、いつもTab譜みてるからちゃんと覚えてないので、覚える。

Blenderやる。本読む。休憩にちょっとDot打つ。

それを合宿で頑張る。

 

sumikaのLovers、メロディライン良い。

詞もいいんだけど、さすがにメンタルつよすぎん??

高校の頃に流行ってたけど、そのころクリープハイプばかり聴いていて、「Loversの詞ありえんわー」って言ってた。

今はちょいわかる気もしなくもない。と言う感じ。さすがにまだクリープメンタル。

体調と絵と海

今日は従兄の結婚式に行った。

それは書くことが多すぎるので、また明日以降に書く気になったら書こうと思う。

自分用にはもうまとめた。

 

体調

 

9/5から5日間ぐらい体調が万全ではない。

とはいえ、私は馬鹿なので風邪をひかない。何かを休むほど体調が悪くなることは年に1回程度だ。

それでも体調の良し悪しはあって、基本が元気な分、少し体がだるいとメンタルにくる。

 

9/5までは毎日6時代に一度目を覚ましていたのだが、ここ5日間は体が重くてそうはいかない。


今ふと「それでも他の人が体調悪いのに比べれば元気なんだけどね」って思った自分はまだまだ相対軸で生きてるんだなーと反省。

 

体調悪い君よりは体調良いけど、体調良い君よりは体調悪いから、体調良い君は情けをかけてくれ。

 

落書き

 

昨日落書きしたんだけど、自分の絵がおもったより上手くて自己肯定感があがった。

ペンタブを垂直めに置くだけで絵はうまくなる。

私の絵には細かい技法があまりないからか、毎日絵を描かなくても下手にならない。

むしろ上手くなるのは本当にしあわせなことだ。

 

絵柄なんてねーよ。

1時間で3枚落書きをかけたし、

笑ってる顔や、ガリガリくん詰まってる顔をかけたので、成長もできたと思う。

 

今(21:33)の体調

 

結婚式めちゃつかれた。でもめちゃよかった。

結婚式のために、バイト代講たのんだので、確認や諸々やることあって逃げたい。

どこに逃げようか。

 

海に逃げよう。

 

 

『海へ行こう』13年前ってえぐ、、、

 

「この夏何度でも一緒に 海へ行こう」っていいなー

もう最近じゃ一度海行ったら満足しちゃうもん。

幼い頃はひと夏で何回か海に行くことあったじゃん。

何度でも一緒に海へ行こう。まじで。

 

閑話休題

 

今日は疲れたからこそ早く寝れそう。

早寝早起きにもどるぞー。そして朝にTo Doリストを作って、安定して成長するんだ。

 

ブログで毎回曲の詞を紹介すれば読んでくれる人にとって有意義になるかもね。

自分語りと曲紹介ブログをこれからもよろしくね!

 

2023/09/10

「あなたは私が守るからね」

 

こんなに毎日世界について考えている時点で、したたかではない。

世界がどうの、自分がどうの、考えるのは良くない。

 

概念を規定することでやっと立ってられるような落伍者。

ルサンチマンが嫌いだから落伍者に甘んじる気はないけど、生きてるだけで悲しいよな。

 

最近人を励ますことが多い。

私が具体的な問題に直面してるわけでもないから、励まされるようなこともない。

人と話しても言葉を交わそうとし過ぎているし、非言語的な甘えも難しすぎる。

 

「大丈夫」って言葉って良いな。

人に言われたい。

「あなたは私が守るからね」とか言われたら最上級の幸せだよな。

 

具体的な問題に直面してる人っていいな。

相談できるから。

 

昨日も今日も言葉を使うだけで擦り切れそう。

 

励まされたいけど、私は無限に励ますし、友達にも大丈夫だよって言う。

 

そもそも溌剌としてるか陰鬱としてるか、わかりやすいほうがよいのにね。

元気なときはちゃんと人を励ませるし、そうじゃないときは励まさることができる。

 

この文体で書くと、自分に向かっての文章になってしまう。

だから、無理してでも別の文体を使う方が良いなとも思った。

三島由紀夫が小説を書くことで自身が救われるべきだって言ってる。

それはフィクションだからだろう。もっとしょうもない文章を書こう。

 

もっと本を読もう。

 

そして自分の真面目さを捨て去ろう。

自分の文章にはユーモアが足りてない。

 

そうだ最後は虚勢で終わるブログにしよう。

 

お前らが就活してても俺は窓際で酒飲んでるよ^^

シラフでも酔ってるみたいな、人に迷惑かけていきたいなー

それで女の子に刺されて死ぬんだー