夏果

日常の思いと創作など

言葉と場所

言葉の場所

 

言葉はどこにあるのでしょうか。

インターネットにあるなんて言わないでください。

 

LINEで送られてきた言葉は、あなたとあなたの友達の間にあるでしょう。

その言葉の中でも関係が薄い人の言葉。理解や共感しがたい言葉はあなたから遠くにあるでしょう。

あなたの好きな人の言葉、心に響く言葉はLINEでも、Twitterでも、ブログでも、どこにあってもあなたの近くにあります。

 

私は、私の言葉が私の大切な人それぞれの近くにあって欲しいと願っています。

しかしそのためには、「私がその人にとって大切な人である」か「私の言葉がその人にとって大切なものである」必要があります。

それはとても難しいことです。なぜなら他人が何を大切に思うかは私にはどうしようもないからです。

 

泥に塗れても紡ぐ

 

人と言葉を交わすことはとても難しいことです。

会話は言葉を推敲できない。文章はまとめられない。メッセージは相手の忙しさや好みに気を遣ってしまう。そして、つぶやきは所詮ひとりごとにすぎません。

 

考えすぎると言葉を交わすことが出来なくなります。

昔の私は考えすぎて言葉に詰まっていました。今の私は流暢に話せるぶん、過言や言動の不一致に苦しさを覚える時があります。

ですが、人と分かり合いたいという「夢」に近づくためには、泥に塗れて言葉を紡ぎ続けるしかありません。

(人と分かり合うということは「夢」のようなものであるという話はまた別の機会に。)

 

インターネットと現実における「くだらない事」の差

 

ここまで人との結びつきと言葉に対する姿勢について話しました。

ここからは現実的な存在・所在について話します。

 

今これをブログに書いているのはなぜか。

それは自分自身で思考をまとめるためと、アクセス可能な場所に残すためです。

 

理想は木陰でお菓子を食べながら直接話したいんですけどね、笑

いつか、友達とこういうことを気軽に話せるようになったら、話題としてこの記事のURLを送りたい。その時はこのブログを書いていた自分を恥ずかしがれたらいいですが、笑

 

最近、作ったグループが私とってはなんでも呟ける場所になってきました。

しかし、やっぱり呟きは独り言にすぎません。

前提として私はTwitterで呟くのが苦手です。

「泥に塗れても言葉を紡ぎたい」と言っておいてなんですが、返事もなく人の心にも残らない言葉、あなたの心からとても遠い位置にある言葉は存在しないのと同じだと思っています。

 

そのグループやTwitterでつぶやいても、私的な内容やくだらない内容に返事があるはずがありません。

私はオンラインではなくリアルで会話をするのが好きなのですが、それは私的な内容やくだらない内容を気軽に言えることにあります。

 

「おなかすいた」

「わかる」

 

などの会話が今はとても愛しい。

星野源の『くだらないの中に』のように生きたい。この文章もそのようなコミュニケーションへの羨慕なのでしょう。

インターネットにでは消えていくような言葉でも、現実においては大切で温かいものです。

 

では、仲がよくてもLINEで急に「おなかすいた」と送られてきても面倒なのはなぜでしょうか。

対面での「おなかすいた」は同じ言葉でも持つ意味が違います。

対面での「おなかすいた」は「私はお腹すいたけどあなたはどう?」という問いかけにもなります。また、おなかすいたから何か食べに行くという行動や、食事の時間を決めるといった次の行動や言葉につながります。

 

現実で大切なくだらない、何気ない言葉。

それはインターネットと同様にわたしとあなたの記憶から消えていくものでしょう。

「あなたの心からとても遠い位置にある言葉」を私があまり好きではないのは、消えないことにあると思います。見返してみて何か気づきがあればそれは価値がありますが、見返すたびに心に残らないのは残酷に感じます。

(とはいえ「数年前の「おなかすいた」という自分の呟き」を見ている状況などは面白いと思います。全く価値が無い言葉は無いとも思っています。)

 

LINEが難しい

 

LINE。個別メッセージの代名詞ですが、これはとても難しいですね。

テキストコミュニケーションは

1. 時間がかかる

2. 返信までに時間が空くと会話のテンポが遅い

3. 相手の気分、感情が読み取りづらい

などなどのノイズがありますね。

そして、相手にとってテキストコミュニケーションがめんどうかどうかなども大事です。

 

それでもLINEで会話して盛り上がった経験があるから難しいのです。

中高生の頃、相談や哲学的議論をして窓から朝日が差し込んできた記憶。拙い質問で引き延ばした酸っぱい記憶。

それらは思い出にすぎません。

 

私は直接会話の補助としてのみ使うことにしました。

くだらないけど、返事・反応を返せるような内容は送っています、笑

 

私の言葉

 

この文章自体「あなたとこの内容について話したいけど、そんななんでも話せるほどでもないしな」という気持ちから出発したものです。

どんなに仲よくてもこの文章量ほどの長文を送ることなんてできません、笑


いつか目の触れる位置にこのURLをつぶやくか、話の流れで直接話すでしょう。

 

そしてこの文章をもって始めるこのブログはすべてがそういう気持ちから生み出される文章でしょう。

今これを読んでいる「あなた」にとって価値があれば幸いです。

そして互いの理解へのささやかな試みであると信じて。