夏果

日常の思いと創作など

会話って何人までできる? -理想の会話人数-

早起きすると本当に気分がいい。

しかし、早起きすると朝は頑張れても、昼頃に疲れがててしまう。

とりあえず、今は文章に力を入れよう。

 

「大人数が苦手」の解像度が上がった

 

大人数が苦手。

人混みなども苦手だし、教室なども別に好きじゃない。

 

では一番心地いいのは何人か。

それは私含めて「二人」である。

次に心地いいのは「三人」である。

 

大人数が苦手というだけでなく、人が増えれば増えるだけ苦手らしい。

ただ、一度に会話可能な人数を超えるとそれ以上は同じとも言える。十人も二十人も同じである。

 

限界六人

 

一度に会話できる限界人数は六人だと思う。

そして六は完全数であるから、三・三でも二・二・二でも分裂できるし、四・二にもなれる。

六人未満の方が良いが。

 

六人で同じテーマについて話す時、話したい人が話して、漏れている人に対してはファシリテーター的な人が質問するという優しい形がある。

それでも、仲良くないと自己主張できないものだ。

そして、話を振られたって、話し過ぎて自己主張しても仕方ないし、わかってくれないと思って、斜に構えた回答をしてしまう。

これは私の話なのだが。

まあ、楽しい会話において、気を遣ってファシリテーターやってしまいがちだが、そんな必要のない仲の良さと発言意欲は前提として必要だなと思う。

 

最高二人

 

三人以上の会話と二人の会話は本質的に違う。

二人の会話はお互いがお互いに向かって話しているのだ。

言葉で表現するのが難しいことも、ゆっくり話せばいい。

そしてそこに社会は存在しない。

そこにある二人がそれは正しいといえばそれが正しい。

当たり前だが、会話なんて相手の思考を希求しているのだから、個人的なことを聞くのが楽しい。

その点において二人での会話がどうしても最高なのだ。

 

三人を嫌う人、四人を称揚する人

 

三人が苦手だというのを何人かから聞いたことがある。

二人が至高だという話に基づけば、三人の中で二人が出来てしまったら、もう一人は はなすひとがなくなる。妥当な意見である。

 

また、飲み会などは四人が良いと言う人もいる。

四人であれば二人で会話する瞬間があっても、「傾聴」か「もう一人との会話」という選択肢がある。

 

三人で話題があれば、仲良ければ良いと思うが、人数だけ見れば三人より四人の方が良いだろう。

 

考えれば考えるほど、五人以上がおぞましく思えてくる。

 

気を遣って質問されても答えられねぇだろ

 

六人でいる時、トークテーマが不服で黙っていることがあった。

自然な流れでもっと面白い話題を提供するのが一番美しい手段だが、先輩がいたりすると喋らせてあげるかーとなる。

 

トークテーマは変遷すれども、私の発言意欲は低下の一途を辿っていた。

一番の先輩の言葉の浅さに居心地のわるさを感じていた。

 

そんな時、「君はどうやってメンタルを保っている?」と質問された。

なんてコンプレックスな質問だろうか。

こういう質問をあのトーンで、義務ファシリテーションでできる方はさぞかし言語で説明可能な世界で生きているのだろう。

 

花の図鑑を読んだり、散歩したり、ギターを弾いたり、人と話したり、

話しきれないほどの対処行動があるし、それをしてメンタルが安定すると一口に言えるような人じゃない。

私は生きてるだけで悩む人だ。

そもそもメンタルなんて保たなくていい。

メンタルを保つ対処療法の話を当たり前のようにしているが、「メンタルを悪くする原因を解決する」というのが一番いい方法だろ。

なのに何がメンタルを悪くするかに寄り添うこともなくその質問をされた。

 

六人という場。私が私に課した発言時間のタイムリミットもある。

そして理解してもらいつつ、理解しあうことを拒む発言。

「私は別にメンタル保とうとしないですけどね。私が悩む原因は哲学的なところからきているので、常に悩んでいます」と答えた。

イキっているが、対話拒否にしては良い回答だ。

 

まあ、対話した人と四人以下で話そうという話だ。

前回深く狭い人間関係を目指すと言った通り、同時に一緒にいる人も四人以下の場を作り、いろんな人と二人の対話を試みようと思う。

 

アイデンティティ関連で言うと、「大人数が苦手、二人が好き」ということについてははっきり好き嫌いを提示することができる。

私の一貫的な面を発見できて嬉しい。